後ろ髪を引かれる想い

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4年前の秋に私はバリ島に引っ越しをしてきた。
引っ越しをするにあたり捨てなくてはならないもの、持ってこなくてはならないもの、いろんな感情の整理もあった。

ただ時間が本当になかったのでドタバタだったのは確かだ。
それでも同じ地球に存在してる。
飛行機でたった8時間。忘れ物があっても8時間あれば戻れると思えばどってことないことでもあった。

それでもどうしてもあきらめなくてはならないことが私には2つあった。

1つはどうしょうもない問題だった。これが今でも気持ちを引きずりいつまでもそこから進めないのだが、どうしようもないということで、仕方がない事実なのだが
自分の選択が正しかったのかどうだったのかは今でも答えが出ない。
もう一人の自分が言うんだ「お前ってやつは最低だな!」

言い訳も、同情も、ぐうの音も出ない。

もう1つはお金だった。

日本に居たらなんてことないことだった。

私は女に生まれてきた。

悪いが女に生まれてきたが子供を産むことが出来なかった。
出来ないならば、せめて大変な環境の子の支援をすることが自分に出来る微力の事でもあった

30代の時に友達がタイの子供を支援していた。その話を聞いて、縁だと感じた。
それからアフリカのマラウィの幼稚園児の支援をしていた。2014年の秋まで。

バリ島に引っ越しするにあたり、自分の生活さえどーなるのかわからないのに支援なんかしてられない。

支援が出来なくなる事情をメールで送り、申し訳ない感情も送った。
私としては「残念です」という言葉が返ってくると思っていた。
だって私だったら「残念です」と言うだろうと思ったのだ。

「残念です」と返信が返って来ていたら、私はきっとこんなに後悔しなかった。

「今まで支援をありがとうございました」と返信が来たのだ。

ちょっと待ってくれ!
私は感謝されるようなことをしてないのだ!
私はここで支援を終わらせることをメールでお願いしたのだ。

感謝される言葉というのは今後も継続して変化のないことを言うのだ。それによって地球の裏側で下痢で小さな命が消えなかったり、
学校が出来たり、病院でワクチン接種が出来たりと、そーゆーことに微力でも参加出来てる人が頂くものなのだ。

私はここで一抜けた!をやろうとしてるのだ!

この4年間、ずーっと後ろ髪引かれる思いを持っていた。

1つはどうにもできない事だとしても、もう1つは自分の努力で出来ることだった。

やっとその力が自分についた。
不安定な時期もあったけど、やっとまたお願いしますと言える力がついた。
この前の一時帰国で書類に記入し、また継続できる幸せに感謝した。

支援する国は自分でも選択出来るしワールドビジョンに選択してもらうことも出来る。私はお任せした。自分が選択すると違う感情が入るから。
全ては縁と受け入れて。

こんなに時間がかかってしまったことが残念だが再開できたことは本当に良かったと思ってる。

私は弱い者いじめをする奴は大嫌いだし、
人間に対しては全然優しくない女だが
薄情ではない。
これだけは言える。

人には優しくないが薄情ではない!

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